道・・・・

路、径、通・・・・
タイトルにある「道」と言う漢字の他にも日本語ではこのような漢字を
「みち」と読ませたりします。

それぞれ意味合いが違うようですが、英語にも色々な表現があります。
road, street, avenue, path, pass, lane, way などで、
やはりそれぞれ使い道があります。

第2次大戦が終了し、アメリカが日本を占領していた時期、進駐軍は
東京の道路に、どちらかは忘れましたが、東西に走るものと、南北のものをそれぞれ
「ストリート」と、「アヴェニュー」とに分けて名付け、分かり易いようにした事がありました。
また、お馴染みの「ブロード・ウェイ」などは、日本語にすれば
単に「大通り、広い道」という意味になりますが、分かり易さではこれに勝るものはなさそうです。

日本語で「道」と言うと、単に人や車などが利用するものだけでなく、一般的に、
茶道、華道、装道や柔道、剣道、居合道などの「武道」があり、更に最近は

野球道、相撲道、などにも使われています。

こう並べてみると、日本語の「みち」には、どこか
形而上的な意味合いが強く含まれているのが理解できます。

また、人のステータスやエキスパートに関して良く使われている
「家」や「師」なども、似たような雰囲気を感じます。
陶芸家、画家、音楽家や、医師、伝道師などがそうです。
ただ「師」に関しては、どこか指導する・指導を受けるというような上下関係を感じるので、
多少趣が違うのでしょう。
漫才師という言い方がそれを象徴しているような気もします。
それらの背景には厳しい師弟秩序や尊敬の念があるようです。

さて本題。

「道」ってなに?ということが、今回のお話しのテーマです。

取り敢えず、「道とは、真理の探究をすること、目指すこと」という定義で良いでしょうか?

では「真理とは何か」というややこしい話しになってしまいますので、その辺はともかく、
こうしてみると、やはりこの「道」にはメタフィジカルな要素が詰まっているのが分かります。

これを外国語、例えば英語に翻訳することは可能なのかな?と、
ふと考えたのがこれを書くきっかけでした。
たぶん、『to seek after truth』で、「道」の意味は伝わるはずですが、一言での表現は無理のようです。

また、この「道」という概念の核となる「こだわり」という言葉は、最近は
「何かに集中して深みを求める」という意味合いで使われることが多く、本来の意味である

「気にしなくてもいいようなことが心にかかる、気持ちがとらわれる」などの
否定的使い方はしなくなりました。

ここでは最近の使い方に従ってみるとして、
世の中には、様々な「こだわり」を持って、正に「真理を追求する」という姿勢で
事業を立ち上げたり、人生観を見直す人が多くいます。

現在、そんな創設者の意志を、「製品の普及でユーザーに伝えたい」との願いから、
バネッサ・ミーガンと言う類いまれなオーガニック・コスメティックスの情報拡散に必死になっていて、
大げさに言えば、これが「コスメ道」なんだな!と思っています。

世の中、常に「良いものが支持されて売れる」ほど、単純な仕組みを持っていませんが、せめて、
素晴らしいものに出会って琴線が震えた時の感動は忘れずにいたいし、これからも
バネッサ・ミーガンを立ち上げた創始者の想いにしっかり寄り添って応援してゆきたいと願っています。